400年前の江戸時代でタイアップ広告が行われていたんです。

行ったのは2代目市川団十郎。現在の市川海老蔵さんが継いでいる成田屋の二代目です。

そのタイアップ広告を詳しくご紹介します!

市川家家系図

2代目市川団十郎はこんな人

江戸っ子の絶大な人気を博して、現在にいたる市川団十郎家の基礎を築いた人です。

17歳の時、父の突然の死に遭い、二代目團十郎を襲名。

若くして襲名したため後ろ盾がなかった市川団十郎はお客さんに

劇場へ足を運んでもらうためにいろいろな施策を考えます。

その中で一番有名なものがタイアップ広告でした。

市川団十郎の生み出した広告劇「助六」

助六は江戸の男のダンディズムと宣伝広告がぎっしり詰まった、

まさに江戸の粋と洒落を極めた芝居です。

「助六由縁江戸桜」国周画 この錦絵は幕末から明治期のもので、
助六役は河原崎権之助(のちの9代目市川団十郎)である。

助六にでてくる広告はこちら

  • 酔い覚ましの薬『袖の梅』
袖の梅
  • うどん『福山うどん』
  • せんべい『朝顔せんべい』
  • お酒『山川白酒』
  • お饅頭『新吉原竹村伊勢』

幕が開く前から舞台の袖には饅頭で有名な「新吉原竹村伊勢」
の蒸(せい)籠(ろう)が積み上げられていたそうです。

歌舞伎の舞台がなぜ広告の場になった?

江戸時代は歌舞伎は遊里・吉原と並んで2大悪所とされていましたが、

一方で流行やファッションの発信源でもあったそうです。

人気絶大の歌舞伎役者たちはスーパースターでした。

その影響力も大きく、衣装や台詞から数々の流行が生まれたほどです。

助六で登場した商品は市川団十郎の爆発的人気にあやかってブレークしたそうです。

また、スポンサーは劇場に団体客を招待し、劇場側も団体の入場料で大繁盛。

そうして、大衆に馴染んでいた歌舞伎はかっこうの

宣伝広告の舞台(メディア)となっていったのです。

侠客に身をやつし、父の仇を探す男の物語あらすじ
舞台は、実在した江戸新吉原の大見世・三浦屋の店先です。

ここでは、吉原ナンバーワンの花魁(おいらん)・揚巻(あげまき)をはじめ、

いずれ劣らぬ美貌の遊女が艶やかさを競っています。

そこに通うのは、江戸っ子たちのヒーロー・花川戸助六。

ケンカにめっぽう強く、権力に屈しない、吉原一のモテ男です。

じつは助六の正体は曽我五郎時致(そがごろうときむね)という侍。

父の仇を探し、家宝の刀「友切丸」を取り戻すため、

侠客に身をやつし、武士に喧嘩を吹っかけては刀を抜かせているのです。
ある日、助六は恋人・揚巻に横恋慕する髯(ひげ)の意休(いきゅう)と対決し、

髯の意休がついに刀を抜きます。そして、その刀こそ、助六が探し求めていた家宝の「友切丸」だったのです。こうして助六は父の敵を討ち、宝刀を取り返すことができたのでした。

出典元:https://www.admt.jp/

タイアップ広告が江戸時代にすでに生まれていたとは驚きですね。

江戸時代にはタイアップ広告のほかにもチラシ広告やプロダクトプレイスメントなどが使われていました。

プロダクトプレイスメント→仙女香は元祖プロダクトプレイスメント!?

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昔の人は情報がない中で知恵を振り絞ってすばらしい広告を生み出したことがわかります。

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